由緒

天祖神社由緒

天祖神社のご祭神

江戸中期に編纂された幕府官撰地誌「新編武蔵風土記稿」には上下の神明社勧請の年歴は不明とあるが、御神木であるカヤは樹齢600年を超えているとの見立てもあり、社も室町時代には在ったと想されます。
同風土記稿中の「正保年中改定図」に下神明の元である下蛇窪の記が初めて見られることから、正保元年(1644)を上下の村の成立元年として昭和58年に両社で340年祭が斎行されて以降10年毎に式年大祭が行われています。
当社が現御祭神を迎え神明社として鎮座したのは、江戸初期に広く流布していた伊勢信仰や伊勢・八幡・春日の三神を祀る三社託宣信仰に依るものです。

現在では区内最大の御神木と大狛犬や最長の参道などを有し、神社を中心に雅楽の稽古が盛んに行われるなど伝統文化継承にも力を入れています。

由緒追記

平成30年、氏子有志歴史研究会が村や当社の興りについての検証経過を公表しました。
それに依ると15世紀に藤原秀郷の末裔を頭とする一族が常陸国より遣わされて此の地を開墾。村の東高台に先祖神・天児屋根命を祀る社を建てたとの伝えが子孫の家に残る等、様々な事柄が判明しました。

依って当社の元は天児屋根命を祭神とする春日社で、江戸初期に天照大神と応神天皇を迎え神明社となったと考えられます。

現在も品川歴史館主導で氏子内旧家に伝わる古文書の調査が進められています。

天祖神社の例祭日

9月中旬の土日

稲荷社由緒

開村の折、除災と繁栄を祈願して村の乾と巽の方角に祀られた二つの稲荷社がございます。

乾の社

戸越伏見稲荷社(戸越大塚山稲荷)戸越5丁目鎮座

乾の社 戸越伏見稲荷社(戸越大塚山稲荷)
戸越伏見稲荷社

乾隅に在った大塚山古墳前(戸越公園駅付近)に祀られたと伝わります。線路敷設に伴い古墳は失われましたが戸越中央商店街や戸越伏見稲荷講によって護られています。境内には文政三年(1820年)辰年三月、寄進者 玉屋甚右衛門、豆腐屋権左衛門、また世話人 桶屋平兵衛、左官半四郎、肴屋金次郎、池田屋吉兵衛と刻印された石の手洗いがあり広く信仰を集めていた様子がわかります。
2月初午祭斎行

巽の社

小市郎稲荷社 天祖神社境内

元は村の巽隅である立会川縁(二葉2丁目内)に在りました。
旧跡地には現在も石祠が残されており「村始り稲荷社前旧跡にして寛文八年戌申年旱魃の節雨を祈りしに其跡あり、此辺を西耕地といへども里俗に小市郎乃田場と唱えたり」とあります。二度目の移転により現在は天祖神社境内に祀られ神明稲荷講をはじめ多くの崇敬を集めています。

・2月 初午祭斎行 ・5月 御田植祭斎行 ・9月 抜穂祭斎行

御田植祭

毎年5月の始めに御田植祭を斎行しております。

神明稲荷講及び戸越伏見稲荷講では講員を募集しています。
詳細は神社社務所3782-7349または下記メールフォームにてお問合せ下さい。

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